人間、最初は誰しも皆「坊ちゃん」
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本
「親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている」
皆さんはこの冒頭句を知っているでしょうか。そう、かの有名な夏目漱石の作品『坊ちゃん』の冒頭句です。
この年になって初めて『坊ちゃん』読んだというのは中々恥ずかしいのですが、昨日小説を読んで、今日「坊ちゃんからの手紙」という芝居を見てきました。坊ちゃん漬けの二日間ですね^^
さて、『坊ちゃん』という作品ですが、思っていたよりも痛快な内容で面白かったです。夏目漱石自身の経歴と合わせて、主人公の「坊ちゃん」も田舎の学校の教師になるのですが、なんとまあ馬鹿正直な性格で、とにかく理論がましくて回りくどい教頭や校長を心の中、或いは口に出して度々批判します。そしてこの批判の描写が中々センスがあって面白い。自分でも使ってみたくなります。
・・・内容の紹介はさておき、『坊っちゃんを読んでて個人的に一つ思うところがあったので書いてみたいと思います。
反社会的
上に書いたとおり、「坊っちゃん」による批判が多いこの小説ですが、その本はどこか社会に対しての批判を加えている感じがしました。以下の文章がそれを端的に表しています。
たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく方法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。(p.56)
人間というのは誰しも初めは皆純粋です。嘘を真に受けたり、人のことをあまり疑いません。しかし、自分はまだそんなに社会経験はないのですが、社会の中には狡賢い人がたくさんいて、嘘をつく事を否定したり、義理を通そうとすると「現実を知らない」「きれいごと」というように批判されるみたいです。この小説でも主人公が正確の悪い教頭に「やつは坊っちゃんだ」と陰口をたたかれています。
学校では嘘をつくなと言いつつも、実際の社会はうそで満ち溢れている。社会に出ると皆「現実」なるものを知って純粋ではなくなっていく。当時「ぼっちゃん」や夏目漱石が赴任していた松山だけだったのかもしれませんが、現代の社会でも当てはまるような気がします。
人はいつまで「坊っちゃん」でいられるのか
ただ、人間に嘘をやめろというのはそもそも無理な話なのかもしれません。何千年も経って、現在でも尚なくならないものなので
そうならば、人間はいつまで「坊っちゃん」でいられるのでしょうか?
中学生か高校生か大学生か、社会に出たら「坊っちゃん」ではいられないのか・・・
そもそも、何事にも正直に義理を立てたら社会が成り立たないので、人間はいつまでも「坊っちゃん」であるべきではないのか・・・
色々と難しいですが、社会を知らず自分の夢を語る、自分が今はまだ「坊っちゃん」であることを願うばかりです。
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